【連載01】ホントの自分はどこに消えた? 世にも恐ろしい「自己暗示」のはじまり

リン:さてと。紺野うみの「住人の部屋」へようこそ! 私の名前はリン。そして、こちらは委員長でーす♪
委員長:はい、よろしくお願いします。
リン:もー、相変わらず委員長は固いなぁ!笑
委員長:だって、私たちがこの連載の案内役なんですよね? しっかりやらないと駄目ですよ!
リン:まぁまぁ、ゆるーく楽しくいこうよ☆
委員長:それでこのシリーズでは、どんなことを皆さんに……?
リン:そうなの! 私たち「住人」ってのはさ、紺野うみの「心の中に住んでる人たち」ってことじゃない?
委員長:うんうん。
リン:で、昔は悩みまくっていた彼女(紺野)が、一体どうやって私たちを見つけ出して、幸せに生きられるようになったかって話を伝えていきたいなーって。
委員長:なるほど……。これまでの経緯をお伝えするってことですね?
リン:そうそう。だって、私たちみたいな心の中の住人って、ホントは誰の内側にもいるんだもの。そして、その存在についてよーく理解することが、つまりは「自己理解」ってことでしょ?
委員長:はい。だから「紺野うみ」のケースを知ってもらって、皆が自分の心の中に、もっと興味を持てるようにしたいってことですね。
リン:ご名答♪ 自分の心を大事に生きられるようになれば、必ず一人ひとりが、自分らしい「幸せのかたち」にたどり着けるもんね!
委員長:よしっ、俄然やる気が湧いてきました! リンさん、がんばりましょう!!ハチマキキュー
リン:(やる気モードの委員長、ハチマキつけるのね……超可愛いんだけど!笑)

自分を正しく知れば、人生は回りだす!

皆さんは、「自分」という存在について、どれだけのことを「理解している」と言えますか?

かく言う私も、昔は「自分のことは、自分が一番わかってるもん!」と、信じて疑っていませんでした。

でも恐ろしいことに、自分自身が「わかったつもり」になっていながら、一生懸命生きているうちにいつの間にか「本当の自分」を見失っている……なんてことはよく起こりうることで。

この紺野うみの「あゆみ」の連載では、私がこれまでたどってきた紆余曲折のお話と、自身が行ってきた自己分析のお話を、丁寧に小分けにして書いていこうと思っています!

リン:そして私たち「住人」が、案内役をするからよろしくねっ♪
委員長:今後も入れ替わり、いろんなキャラクター(住人)が登場するでしょうけど、私たちの詳しいプロフィールが知りたい場合はこのページを見てくださいね!

「自己分析」や「自己理解」という、しかつめらしい四字熟語たちに戸惑うことなく、これらがもっと「誰の人生にとっても重要なこと」である、という事実を知ってほしいからです。

現に、私はこの数年間、独自の自己分析を極めたおかげで人生が激変しました。決して大袈裟ではなく。

得体の知れない不安や、終わりのない自己否定から心が解放され、やっと「自分らしい生き方」を取り戻すことができたんです。

皆さんが私のたどった「あゆみ」を読み進める中で、ふと自分の人生についても振り返り、そこに迷いや悩みや傷跡があったとき、この連載がそれを解消するヒントになればいいなと思います。

リン:絶対に損はさせないから、ぜひ読んでね!
委員長:ちょ、変な言い方すると胡散臭くなっちゃいません……?ドキドキ
リン:でも、絶対に役立つもん☆

紺野うみはどんな人だったか?

まずはじめに、実物の紺野を知らない方々のために、本来の私についてちょっとだけお話しなくてはいけません。

もともと私は、根っこの部分から楽天的で感覚的、そしてかなり「行き当たりばったり」な人間です(笑)

リン:ごめーん、これ完全に私の影響だわ!笑
委員長:ははは……(うん、否定できない)

ですが「人から嫌われる」ということに対しては、昔からひどく敏感で、どこに行っても「優等生・八方美人」で生きていました。

誰かに嫌われることがないように、自分の方を相手に合わせていくやり方を、いつの間にか体得していたように思います。

委員長:そして、これは私ですね。苦笑

ですから、学級委員をしていた学生時代も、リーダーシップをとって「みんなついて来い!」というようにグイグイ人を率いるタイプではありませんでした。

「人を惹きつけるカリスマ性」なんてものは特になく(笑)、集団のバランスを取りながら、その治安維持を心掛けるのが私のスタイル。

各方面の意見を聴きながら、それらを調整していって、対立しそうなところはそっと和らげて……という「空気づくり」のような方法を、自然に選んでいたように思います。

「人間関係は、円満が一番!」と、衝突を避けてなるべく円滑に、争いを起こさないようにすることを「最善」としていました。

リン:こういうことは、調整役の我らがヒロさんが得意だったよね!
委員長:八方美人の私と、平和主義のヒロさんがいますからね。そりゃ、トラブル嫌ですもん。

自己暗示のきっかけ

さて。そんな私は幼い頃から、ある「専門分野」の世界に身を置いていました。

その分野に関わり続けながら、学生時代を経てそのまま社会人になった私は、その業界の中でも自分が特別に尊敬していた人の下で働き始めることが叶いました。

正直なところ、私の頭からはいつからか、自分がその世界以外で生きていくという選択肢は消え去っていました。

なにしろ狭い環境で生きてきましたし、幼い頃からその分野における、特殊な経験ばかりを積み重ねていましたから……。

自分という人間に「仕事」としてできることなんて、このジャンル以外には存在しないものだと、そう信じ込んでいたのです。

リン:だけど逆に、紺野うみの得意分野は、そこじゃなかったのよね……。
委員長:はい……、切ないことに。

私の上司になった方は、頭もキレるしカリスマ性があって、仕事も優秀、おまけに社会的な信頼も厚い……という、果てしない能力を持っていました。

その凄すぎる背中を見ていた私は、「その下にいる自分も、上司にとって、信頼できて誇れる部下でありたい!」と常に考えていたんです。

ですが、実際はその世界でやっていくには、大した素質や才能も持ち合わせていない私でした(笑)

長くその世界で過ごしてきた、というキャリアでカバーできることが多少はあるかな? という程度……。

それからは「上司をがっかりさせないように」と、その期待を裏切ることのないよう、精一杯自分なりに「背伸び」をして「格好つける」日々が続きます。

リン:この頃は、委員長がとにかく前線でがんばってくれてたっけ。
委員長:この上司に一番憧れていたのは、私でしたからね……。私が不安で不安で、どうしても操縦席から離れられなかったんです。
リン:あーもう、昔のことじゃない! そんなしょんぼりしないでよぉ。

正直なところ、自分には向いていないと思う業務や、まだまだ荷が重すぎると感じる仕事もありました。

そういうものをやらざるを得なくなった時は、それはそれは憂鬱で。

「次に目が覚めたら、この仕事が終わった後にタイムスリップしてたらいいのに……」なんてことまで考えちゃったりして、いつも「なんとかそつなくこなせますように!」と、祈ってばかりいましたね。

今の自分からは想像できないくらい、とんでもなく後ろ向きな働き方をしていたわけです(笑)

でも、そんな風にどんなに気が進まないことであっても、「私は未熟なんだから、どんどん経験を積まなくちゃダメでしょう!」という想いから、どうしてもその仕事を「断る」という選択肢が選べませんでした。

絶対的な憧れと尊敬にあたる上司の前で、ダメな自分はなるべく見せたくなかったですし、そんな弱気は「あってはならないことだ」と禁じていたからです。

リン:この真面目過ぎる思考が、とにかくもう「委員長」って感じなのよね!笑

それに私の勤めていた会社は従業員が少なく、たまには仕事を休んで行きたい場所だとかやりたいことがあっても、気の弱い私は気軽にそんなこと言い出せませんでした。

「新人の分際で休めるわけないし、他の人に迷惑はかけられないもの」と言い聞かせ、その欲求自体を無かったことにしたのです。

自分の体調不良はもちろん、友人の結婚式ですら「休んでもいいですか?」なんて言い出せなかった……。

リン:今考えると、うーんなんとも……。
委員長:意志弱すぎ、ですよね。苦笑

「仕方ないよね」……そんな風に、当時の私は本音をことごとく誤魔化して過ごしていました。

リン:ちなみに、この「仕方ない」っていうのは、ヒロさんの癖だよねー。良い意味でも悪い意味でも「もの分かりが良すぎる」もんなぁ、ヒロさんは。
委員長:私が「本音」に苦しめられないように、やってくれていた部分もあるでしょうけれど。

今こうして冷静に振り返ると、精神的にはいつだって「得体の知れないなにか」に追われているような感覚がありました。

それでも、どんなに大変な時も、私はずいぶん器用に「私は幸せだ」と自分を納得させてきたものだなぁ……としみじみ感じます。

実際、その上司には本当によく気にかけていただいていて、その繋がりが強くなればなるほど、「この人の下で働けているのがありがたい」という思いが、どんどん心に降り積もっていくのです。

だから、たとえどんなに自分の心をすり減らすようなことがあったとしても、「その人を裏切るようなことは絶対にできないぞ!」と、言い聞かせていました。

「こんなによくしてもらっているんだから、応えなきゃ人としてダメだ!」と。

そして当時はもちろん、そんな自分の思考や言動、現状に「違和感」も「疑問」も持っていなかったのです。

リン:わかるよ。こうなっちゃうともう、なかなかその思考回路からは抜け出せないのよね……。

これこそが、世にも恐ろしい「自己暗示」のはじまりでした。

一度これがはじまってしまうと、自分の「本音」からはどんどん遠ざかってしまうわけで、不思議とその時は感覚が麻痺したかのように、自分の感情にもとても鈍感になっていました。

自分に関するあらゆる判断を、無理やり「自分以外の視点」で行っていたんですね。

もちろん、その頃の私は、完全にその「憧れの上司」の基準を自分の評価に直結させていました。

「自分はこうじゃなきゃダメ」
「こうしていないと、上司に幻滅されるかも」
「周りからこういう自分に見られていないと、迷惑がかかる」

私の自分に関する思考回路は、いつもだいたいこんな感じ(笑)

……分かりますか? この想いの根底には、自分に対する信頼や自信が、まったく存在していないということが。

今、私は発信する内容で「自分を大事にしろ」だの「自分の本心を理解しろ」だのと、とにかくしつこく言っていますが。

それは、かつて私自身が「自分をどんどん追い詰めていることにも気づかず、自分をないがしろにしていた経験」があったからなんです。

リン:ねっ? 説得力があるでしょう!笑
委員長:そりゃあもう。自分の人生を使ってそれをとことんやってみて、「違ったな」と実感した私が言うので間違いないですね。苦笑

心を誤魔化し続けると……?

自分の心の中に生まれていたはずの、願望や疑問。

それらを、その時の環境に身を置き続けるために、自ら「無かったこと」にしていた私。

そんな「誤魔化し」を無意識に繰り返すうちに、私は一部の重要な感情まで、知らず知らず抑え込んでしまうようになっていました。

それが、「反発」や「怒り」です。

リン:上司への「反発心」や「怒り」なんて感情は、委員長に取ったら恩人への反逆レベルの「御法度」だったのよね。
委員長:忠実な部下として信頼してもらえないと、必要とされないのでは……という恐怖があったのだと思います。

こうして私は、いつしか人間ならあって当たり前の感情まで、「自分の中にそんな感情があるわけない!」と、本音を自覚できない状態になってしまっていました。

「なかったこと」にした想い

今振り返ってみれば、その頃の私の状況は「パワハラ」にあたるようなことも多かったです。でも、その上司に対しては「反論」すらもできなくなっていました。

「憧れていた上司」の背中を追いかける上で、そのような感情は「甘え」なのだと頑なに信じていましたから。

「これってパワハラなんじゃない?」だなんて、そんな想いを心の中に抱いていては、その近くではとてもやっていけなかったのだと思います。

だから、そんな思考は明るみに出ることもなく、ただひたすら「どうすれば上司が喜ぶか、役に立てるか、認めてもらえるか」……。

上司や周囲の顔色ばかり伺い、自分の気持ちなんて放り投げて、そればかり考えて動いていました。

リン:自分の評価のジャッジを、すべてその「絶対的な上司」に委ねちゃってるんだもんね……苦しかったよね。

自分が違和感や不満の感情を「持っている」という自覚がないのですから、たとえば人に弱音を言ってその想いを発散するとか、そういった感情の逃がし方もできるわけがありません。

だから、その頃の私は人から仕事について訊かれれば、「まだまだ未熟者なので大変ですけど、恵まれた環境で楽しいです!」とニコニコ答えていました。

この気持ちも、その時の私にとっては「本心」だったんです。

委員長:私の持っていた「本音」ですね。
リン:うん。でも、心の中には「他の想いや感情」を持っている人がいたんだよね、実は。

この頃にも、心のどこかには上司に対して「相反する自分の意思や考え」が眠っていたのでしょう。

当たり前のことなのですが、上司と自分は「別の人間」です。

いくら尊敬していても、憧れていても、まったく同じ考え方になれるはずありません。

でも、上司の前ではそんなことは言えるはずもないし、そんな「想い」があってはいけない……いや、自分にはそんなものあるはずが、ない。

私は、尊敬する上司の一番良い部下であり、理解者であり、その仕事のサポートができる人間でいたかったのです。​

そのために、「甘え」や「だめな自分」、そして「上司への反発心」は無かったことにしたのでした。

委員長:それで、心のどこかに存在した「矛盾した気持ち」を押し込めたまま、わき目も振らずに突っ走ってしまったわけですね。
リン:結果……。自分の心が麻痺しちゃって、本心がまったく分からなくなるところまで、自分んを追い込んじゃったのかぁ。

心が出したSOS

私の場合、心からのSOSサインは、さまざまな形で現れました。

上司と話をしているだけで理由なくふいに涙が出てきたり、仕事の能力が著しく低下したりしました。

自分の感情をコントロールすることが難しく、仕事に対する恐怖心から、常にびくびく過ごしてたのを覚えています。

自分がなにか失敗して、そのせいで周囲に迷惑がかかることを極度に恐れていたのですね。

そして、自分の不足を補うために「どうにかしなきゃ! でもどうすればいいか分からない!」と、ものすごく焦っていました。

仕事を始めたばかりの頃は、もっと前向きに夢を持って、明るくがんばれていたのにな……と自分でも不思議で哀しかった。

そして上司はそんな私を見て、自分の内面を見つめなおす機会をくれたのです。

リン:これは、本当によかったよね……。パワハラも山ほどあったけど、上司は上司なりに心配してくれてたんだと思うな。「上司」と「私」の視点以外に、問題を客観視するチャンスがもらえたんだもん。
委員長:はい、正直そうなって初めて、突っ走るのをやめることができましたから。

その時の私は恐らく、「上司に」言われないと、立ち止まることは無理だったと思います。

ここが「心」の怖いところで、身体の不調と違って数値でなにかが現れるわけではありません。

現れるサインとなる症状(?)も人によってさまざまなので、自力で「私、なにかおかしいぞ?」と気付くのが、本当に難しいんです!

私の場合は、他でもない「絶対的」であった対象の方から「大丈夫? 最近おかしいよ」と言ってもらえたので助かりました……。

そう。

自分で自分のことが分からなくなってしまった時、必要なのは「冷静で客観的な視点」なんです。

だからこそ私は、このサイトでをキッカケに「自分は本当に心が健康なのかな?」と、一人ひとりに問いかけてもらえたらと思っているわけです。

こんな経緯があり、この時に出会ったのが……。

元気いっぱいになった(笑)今なお、貪欲な私に心理学についていろいろと教えてくださる、素敵な臨床心理士の先生でした。

そしてこれが、私と「心理学」の出会いでもあったのです!

リン:おーっ! いよいよだねっ。心のことを深める鍵に出会えたお話。
委員長:経緯を話すだけでも、だいぶ消耗しますね……。笑
リン:よし、ここからは次回にしましょーか! 委員長もお疲れさま!

→次回!【連載02】

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